まちも人も「発酵で面白くなる」って!? 長岡が誇る「名物博士」の微生物ラボへ潜入

いま、世間は空前の「発酵」ブーム。美味しさはもちろん、美容・健康などの観点から発酵という言葉は日常へと浸透しつつあり、甘酒、塩麹、味噌、納豆、ヨーグルトなど、発酵食品を意識的に取り入れている方も多いのではないだろうか。

日本有数の米どころであり、それゆえに数多くの酒蔵や味噌・醤油蔵が立地する新潟県長岡市の長岡技術科学大学(以下、技科大)では人知れず最先端の発酵研究がなされている。大手企業がこぞって訪れ、なんと宇宙開発機関JAXAも関わっているそう。一体どんな研究が行われているのだろうか?その秘密を探りに行った。

長岡駅から車で20分。新潟県長岡市上富岡町の山間のふもとに技科大はある。大学院に重きをおいた工学系大学で、特に生物学における研究室の多さは全国でも類を見ない。その理由は、創設時に著名な教授達が集まったからと言われている。なかでも“発酵の神様”と呼ばれる東大トップ教授の愛弟子・矢野和義氏が着任し、長岡で生物学の礎を築いた功績は大きい。さらに優秀な学生が集まり、企業や大学などで活躍する人材を輩出してきた。現在、技科大の生物学研究は全国トップレベルの実力と人気を誇っている。

その生物学の中でも、微生物研究に力を入れている、とある研究室を訪ねた。

 

小笠原研究室へ潜入!

研究と学会で全国を駆け回る忙しい日々を送る小笠原教授。趣味は水泳。

「今日はよろしくお願いしますね」と柔和なスマイルで迎えてくれたのは、長岡における発酵研究のキーマン・小笠原渉教授。岩手県出身で八戸工業高等専門学校を卒業後、技科大の1期生となり博士課程に進学。岩手大学やイギリス・ブリストル大学で研究に明け暮れる日々を送り、再び母校へと戻ってきた。

研究室のメンバーは現在25名。北海道から沖縄まで全国各地の出身者が集い、ベトナムやスリランカからの留学生も在籍する、グローバルな雰囲気が漂う。卒業生は日本や海外の大学教授や大手企業の研究者になるなど、めざましい活躍を見せている。

DNAの電気泳動実験。電圧をかけてDNAを分離している。

菌体を分ける遠心分離器、培養する機械、保存する特殊冷凍庫など、専門的機器が並ぶ。

 

研究発表を間近に控え、作業にいそしむメンバーたち。

Nikon製の特殊顕微鏡。ちなみに価格はフェラーリ数台分だとか。

小笠原チームの研究内容とは?

小笠原研究室では「微生物」を専門に研究している。糸状菌(しじょうきん)と呼ばれるカビの生産メカニズム、歯周病の原因となる細菌が出す酵素、JAXAの宇宙実験に使うタンパク質の試料調整など、その内容は多岐に渡る。一見、門外漢である私たちには難しそうだが……。

「確かに言葉だけでは理解しづらいかもしれませんね。分かりやすい一例を挙げるなら『酵母で食用オイルを作る研究』なんてどうでしょう?」(小笠原教授)

酵母とは酒やパン製造に欠かせない微生物で、糖分をアルコールと炭酸ガスに分解する。何百種類もある酵母のうち、細胞内に油脂を蓄えるものが発見されているという。小笠原研究室では、木材のセルロースを酵素分解することで“酵母のエサになる糖”を作っており、この研究が進めば、自然界から採取した酵母由来の食用オイルが普及する未来も近いのかもしれない。

糖生産に欠かせないセルラーゼを大量に作る菌・トリコデルマ・リーセイ。

カロテンを添加した酵母由来の食用オイル。種子や穀物よりコストが低い。

さらにオイルの搾りかすは、養殖魚のエサにする二次利用も視野に入れているそう。木材から生産する糖は、衣服の原料や自動車用バイオ燃料にも利用できるという。

 

発酵は食品だけの話じゃない!
暮らしを支える微生物の力

そもそも「発酵」とは、微生物が生きていく活動の中で、自然界のあらゆる物を「別の物」へ変化させることである。イメージしやすいのは、日本酒、味噌、醤油などの発酵食品ではないだろうか。しかし、実はそれだけにとどまらず、農業での土壌作り、家庭や工場からの排水処理、医薬品や合成繊維製造など、これら全てに発酵技術が利用されている。微生物による営みは想像以上に幅広い。

「“発酵=発酵食品”だけではありません。みなさんはあまり意識していませんが、微生物が私たちの生活を支えてくれているんですよ。それに、自然界にいる微生物とそのはたらきを上手く活用することは、石油などの化石燃料に代わる代替エネルギーの研究にもつながるので、現代の課題である“持続可能な開発”のキーポイントになっていくはずです」

小笠原チームが日々研究している成果は、食品業界、自動車業界、医療業界など、産業界全体へ提供され、医薬品やサプリメント、衣料繊維、バイオ燃料などの開発に貢献する。
「10年かけて10機関が協力して、世界の大企業と戦えるものを作っているというイメージですね。F1でいえば、タイヤ専門、エンジン専門とそれぞれ製造のスペシャリストがいますよね。あらゆる専門分野の中で、我が研究室では糖を担当しているんです」

協和発酵バイオ、花王、東レなど名だたる大企業との共同研究も数多い。なかには法律が追い付かず、商品化できない「革新的すぎるアイディア」もあるそう。未知の部分が多いということは、これから先の研究の余地も、そして私たちの生活を変えるような発見の余地もまだまだあるということだ。

 

発酵の可能性を広げる
アイディアコンテストを開催

「実は、微生物の世界のことは1%も分かってないんです。未知の領域はまだ99%以上もあるんですよ、ワクワクするでしょ」と小笠原教授。「発酵には可能性が無限にある」と確信し、2017年から2年連続でアイディアコンテスト「発酵を科学する」を開催した。全国の高専生が発酵の新たな可能性を拓く研究を発表し、有識者による審査で会場は大いに盛り上がりを見せた。

審査員は発酵業界の有名人がズラリ。

長岡工業専門学校の発表「日本酒の醸造をカガクする:生もと醸造の新たな展開」。

企業ブースでは試食コーナーを設け、八海醸造の甘酒、味噌星六の味噌などがふるまわれた。

そのテーマは、乳酸菌による健康問題の解決、ビワ酵母を使った化粧品開発、モール温泉の黒さの秘密やアイヌの保存食研究など多種多様。学生によるアイディア提案は、発酵の世界の奥深さを証明した。

その他にも、小笠原教授はネットワークをフル活用したイベント開催に力を入れている。日本の発酵産業のキーとなる大手企業や大学教授を招いたり、世界中で活躍する研究仲間に声をかけたりすることで、その世界で名の知れた人物が長岡に一堂に集まる。そして人と人が出会うことで化学変化がおき、新たなアイディアが生まれていく。

2018年にオープンしたNaDecBASEで開催した『長岡とブリストル・食と発酵 ~英語で学ぶ英国パブライフ~』。

『第18回糸状菌分子生物学コンファレンス』では過去最多250名が参加。ポスター賞では小笠原ラボ修士学生が優秀ポスター賞を受賞した。

 

発酵でハッピーに!
研究チームとの良好な関係

これほどアクティブでありながら、「実は私、人嫌いなんですけどね……」と冗談まじりで話す小笠原教授。その言葉の真意は「共鳴し合える人とだけ積極的に関わっていきたい」ということなのかもしれない。

研究室メンバーの北原さん(左)と中村さん(右)。小笠原教授と同様に発酵愛にあふれている。

小笠原教授のそんな想いは、学生にもしっかりと伝わっているようだ。修士2年生の中村さんは「この研究室に入った決め手は先生の人柄です」と話し、修士1年生の北原さんは「研究室メンバーを家族の一員のように指導してくれます」と慕う。

様々な年代のメンバーが集う小笠原研究室。心地良い関係を保つためのコミュニケーションは欠かさない。

研究室の窓際では食用ハーブを育てるという遊び心も。

「研究室のメンバーや共同研究をしていく企業や他大学の方々とは、信頼して意見を言い合える関係でいたいと思います。微生物が発酵していくのは、周りに良い環境があって菌同士の良い関係が保たれているからですよね。人間も同じです。ブクブク発酵することがハッピーにつながるんです」(小笠原教授)

 

世界が羨むまちNAGAOKAは
最上級のポテンシャルをもつ

摂田屋地区のシンボル的存在である「機那サフラン酒本舗」。

現在、長岡市では「発酵のまちづくり」に力を入れている。味噌・醤油蔵や酒蔵を有し、明治・大正期を偲ばせるノスタルジックな街並みが保存された摂田屋エリアは、発酵ブームをきっかけに長岡市の一大観光地として人気を集めるようになった。

参考記事
越後長岡の風情と芳香に浸る、醸造の町・摂田屋巡り【1】越のむらさき~吉乃川編

越後長岡の風情と芳香に浸る、醸造の町・摂田屋巡り【2】星野本店〜長谷川酒造編

越後長岡の風情と芳香に浸る、醸造の町・摂田屋巡り【3】味噌星六~グルメ編

しかし、ここで注目すべきは摂田屋だけではない。「発酵=微生物の営み」という広い視点で捉えると、長岡のまちは全体としてブクブク発酵していると小笠原教授は指摘する。

「長岡野菜が美味しいのは土壌中の微生物が元気なおかげですし、信濃川の良質な水と肥沃な田んぼは稲作に、良質な湧き水は日本酒造りに欠かせません。東京から新幹線で90分とアクセスも良く、人が集まりやすいのも利点です。さらに海外から見ると、日本の四季がもつ美しさ、地産地消できる農作物の豊富さは羨ましがられるほどに魅力的ですよ。長岡は、世界的なホットスポットだと思いますね」

イギリスに住んでいた経験のある小笠原教授だからこそ、「長岡は世界に誇れるまち」だと胸を張る。酒蔵ひとつとっても、一社が突出して目立つのではなく、いくつもの蔵がそれぞれの個性を出して共存している。昨年には市内3大学1高専のものづくり拠点「NaDeC BASE」開設によりオープンな情報交換の場ができるなど、まちが一つのチームとして動き出している。個々が魅力的に活動してまとまっていく様子は、微生物がブクブク発酵する姿と似ているのかもしれない。

 

「持続可能な開発」は原点にある
縄文の発酵文化が教えてくれたこと

「長岡における発酵を語るうえで、欠かせないキーワードがあるんです」と小笠原教授。それは、最近テレビや新聞でよく取り上げられるようになった言葉、「SDGs(エスディージーズ)」だという。

SDGsとは、2016年から2030年まで「持続可能な開発」を目指す国際目標のことで、格差問題や気候変動への対応など17の目標が掲げられている。技科大はSDGsのゴール9「産業と技術革新の基盤をつくろう」に取り組む模範大学として、なんと日本を含む東アジアから唯一、世界ハブ校に任命されている。

さらに、長岡で数多く発掘されている縄文遺跡も、発酵やSDGsと深い関わりがあるという。

長岡の縄文文化を象徴する火焔型土器。華美な装飾ながら、発酵させる容器としても利用されていた。

技科大の正門前付近では、縄文時代後期の大規模集落遺跡である藤橋遺跡が発見されている。

「長岡は縄文時代における日本有数の規模と密集度のムラが存在していました。約5000年前には火焔型土器が誕生し、食物の保存や煮炊きに利用していたと推定されています。

発酵文化も縄文時代から存在する文化の一つです。野菜を塩漬けにしたり、木の実や穀物を噛み砕いて容器に貯めてお酒にしたりしていました。なぜ手間暇かけて発酵させていたのか、それは冬の食糧確保のためです。

奇遇なことに、これはSDGsの定める目標である飢餓をなくすこと、さらには狩猟しすぎないことで持続可能な消費形態、陸上生態系の保護が達成されています。つまり、現代の私たちが目標に掲げていることが、縄文時代には当たり前になされていたのです」

縄文時代からSDGsの概念は存在し、さらにはキーポイントとして発酵文化があった。その事実を踏まえると、小笠原教授が長岡の地で発酵研究に取り組むことになったのは、必然だったのかもしれない。

 

大学キャンパスで
花見×発酵イベントを開催

小笠原研究室では「発酵のまち長岡」を盛り上げるため、この春に新たな試みをスタートさせる。4月13日(土)開催の花見×発酵イベント「SAKURA trip」だ。

「発酵×学び×つながり」をコンセプトに一日限りの「発酵マルシェ」をオープン。技科大キャンパスに広がる桜並木を眺めながら、発酵を五感で味わえる。

八海醸造の地ビール「RYDEEN」5種類を飲み比べ!研究所長の解説も聞くことができる。

江口だんごの長岡赤飯。当日は江口社長みずからブースに立って販売する。

顕微鏡で微生物が動く様子を観察できるのは貴重な体験!(写真:写真AC)

八海醸造の地ビール5種類・新潟ワインコーストのワイン5種類・日本酒・甘酒の飲み比べ、日本の発酵料理の他、江口だんごの長岡赤飯やだんご、みそ汁バーなど、発酵食品が満載。さらに、小学生向けの発酵クイズ、顕微鏡を使って微生物を観察できるコーナー、発酵食品のお土産もあり、家族全員で楽しめそうだ。

微生物の営みである「発酵」は身近にある。食べて、飲んで、交流すれば、発酵する空間の心地良さを感じられるだろう。最新情報はFacebookページ「sakuratripNUT」でチェックしよう。4月13日(土)は「SAKURA trip」でゆったりと過ごしてみてはいかがだろうか?

 

Text and Photos: 渡辺まりこ

 

●Information
長岡技術科学大学
[住所]新潟県長岡市上富岡町1603-1
[HP]http://www.nagaokaut.ac.jp/
[小笠原研究室HP]http://bio.nagaokaut.ac.jp/~Ogasawaralab/