“SAKE”を世界の食卓に!ドバイの若き日本人ソムリエが夢見る日本酒の未来

中東の金融の中心地にして、世界中の大金持ちが集まる観光地としても知られるドバイ。この都市で人気を誇る日本食レストランから、一人の日本酒ソムリエの青年が、特別な思いを抱いて新潟県長岡市の酒蔵を訪れました。 浜田竜二さん、28歳。長岡の酒と出会った彼はその味に惚れ込み、ドバイで自分の選んだ酒を提供したいと奔走。その思いがようやく結実し、この春、彼が選んだ長岡の酒が、ドバイに到着しようとしています。 「世界に日本酒の美味しさを広めたい。自分が美味しいと思った酒を届けたい」 目標の実現を前に、今年2月8日、再度長岡の酒蔵巡りに来た彼に、海外での日本酒事情について、そして長岡の酒との出会いについて、話を聞くことができました。

今回の長岡訪問の目的のひとつが、「越の鶴」「壱醸」で知られる栃尾の越銘醸の蔵を見学すること。浜田さんは昨年、ドバイで越銘醸のお酒を飲む機会があり、ぜひ一度蔵見学をしたいと思ったのだそう。

海外での日本酒ソムリエの仕事とは?

「穀物系の味。お米の味がしっかり出ている」 「おりが入っていて、フレッシュですね。この生のフレッシュさが落ち着いてから飲みたいな……(少し時間をおいて)うん、最初と味が違いますね」 「ライム。苦味がジンみたい」 利き酒用のおちょこを手に、まずは香りに集中し、味わい、それを表現する言葉を紡ぎだす浜田さん。外国人に日本酒をすすめるソムリエとしての仕事柄でしょうか、ライムやジン、といった日本人にはややなじみの薄い味・香りの例えに、はっとさせられます。

醸造の町、摂田屋にある蔵元・吉乃川の敷地内にある「酒蔵資料館 瓢亭(ひさごてい)」に立ち寄り、限定酒を試飲する浜田さん。吉乃川の味を、ライムやジン、といった表現をしながら味わう。

浜田さんがドバイで勤めているのは、いま大人気の日本食レストラン「ZUMA」。本社はイギリスにあり、ニューヨーク、香港、イスタンブール、ドバイなど、世界中に11店舗を展開。日本酒の取り扱いも充実しており、海外での和食人気、日本酒ブームの一翼を担っている店です。 浜田さんは若くして、その店で日本酒を任されているソムリエ。長岡を訪れるのは、これで2度目です。今年2月上旬、恩田酒造や越銘醸といった地元の蔵を巡り、丹念にテイスティングしていく彼を直撃。なぜ長岡の酒なのか、そして海外での日本酒事情について、お聞きしてみました。 ――日本酒は今、海外でどれくらい人気があるんですか? 「日本人の僕らがワインを飲みたがるくらいに、人気がありますよ。ニューヨーク、ロンドンあたりではかなり求められていますし、その流行がドバイにもやってきています」 ――日本人にとってのワインくらい! それはすごいですね。ドバイのZUMAでも日本酒のオーダーは多いのですか? 「ワインが7割ですが、日本酒も3割くらい出ます。月によっては4割いくこともあります」 ――海外では、どんなタイプの日本酒が人気なんでしょう。 「辛口(Dry)の日本酒を頼む方がほとんどですね。あとは、香りの強いタイプが人気です。それに精米歩合が低いものほど美味しい、と思っている人が多くて、『50%の酒、持ってきて』『23%持ってきて』みたいに言われるんです(※)。でも、食中酒として飲むなら、料理によっては香りのいい大吟醸ばかりが合うとは限らないでしょう。だから、この精米歩合88%のお酒なんて持っていったら驚かれるだろうな(恩田酒造にて「舞鶴 鼓 88」を手にしながら)。

※精米歩合50%以下の日本酒といえば大吟醸酒を指す

恩田酒造にて、「舞鶴・鼓88」の試飲。「このくらいインパクトあるほうがドバイではうけるんじゃないか、と思います」

テイスティングをしながら、当主と海外日本酒談義。「海外では何で日本酒を飲むんですか?」と聞かれ、「ワイングラスよりおちょこが人気です。そのほうが、日本を感じるらしいですよ」

「蔵の人たちの思いも一緒に広めたいですね。蔵で撮った写真をお客様に見せながら、お酒をすすめて、蔵人から聞いた話なんかもしたい」 (恩田酒造にて)

――外国の人たちが精米歩合というものを知っていて、それをもとに好みの酒を選ぶところまで日本酒の知識がある、というのがすでに驚きです。ソムリエとしてはどんなお酒のすすめ方をされるんですか? 「日本酒の飲み方については、まだこちらから説明してあげないとわからない人が多いんです。アルコール度数の強い蒸留酒のように、くいっとショットする(小さなグラスで一気飲みする)飲み物だと思っている。だから『一気に飲むんじゃなくて味わってください。もしよければワイングラスを出しますよ』と言って、香りをかいでもらう。米の香りの魅力を味わってもらうんです。そうやって一から飲み方を教えてあげると、みんなびっくりして、飲み方を変えますね。 本当は『ライスワイン』って言葉はあまり使いたくないんですけれど、日本酒に対して間違った先入観を持っている人には、あえてそういう説明をします。そのほうが、ショットするのではなく、ワインのように食事に合わせて飲むものだ、ということが伝わりやすいです」

「あとは、男の人なら、単純にサムライとか好きだったりするので、『サムライが飲んでました』って言うと食いつく人もいる(笑)。マニュアルどおりにすすめるのではなく、そのときのお客さんを見て、こう言ったらいいかな、とか工夫するのが、ソムリエの仕事のおもしろいところですね」

海外に日本酒を広めたい! 23歳でドバイに渡る

浜田さんは静岡県浜松市の出身。サッカー王国に生まれ、10代の頃はサッカーのプロ選手を目指していたそうです。それがどのようにして、海外、しかもドバイで日本酒ソムリエとなる道に進んだのでしょうか。 ――そもそも日本酒について学ぼうと思ったのはどうしてでしょう。 「僕はずっとサッカーをやっていて、18歳のとき、サッカーの企業団(浜松からJリーグを目指している社会人リーグ)にスカウトされました。ですが、ちょうど居酒屋でのアルバイトをきっかけに、飲食店の仕事の魅力を知り始めたときで、結局、内定のサッカーを辞退して、居酒屋に就職したんです。料理はオーナーが担当していたので、自分にできることを探して見つけたのが、日本酒と焼酎の魅力をお客さんに伝えることでした。 20歳で焼酎アドバイザーの資格をとり、翌年には利き酒師の資格もとりました。でも年齢が若すぎて、お店でお客さんにお酒の話をしてもなかなか信用してもらえない、ならば、知識を補おうと、自分で酒蔵めぐりをしたり、お世話になっている浜松の酒屋さんに毎週勉強しに行ったりしました。 その酒屋さんのオーナーが深い薀蓄を持つ人だったんです。『まず、日本地図を覚えろ』、『次に日本の味噌としょうゆの違いを覚えてこい』……。僕は、純米とか大吟醸とか、酒のことだけを質問していたのですが、『酒は土地のものだからまず都道府県と水とかを勉強しろ』と。普通の酒の勉強とは全然違う角度から入っていき、酒を学ぶのがますますおもしろくなりました。このときの教えは、今でも忘れません。『土地の食べ物とお酒』というテーマであちこち旅をしたいな、と思うきっかけにもなりました」 ――では海外で、日本酒ソムリエを志そうと思ったきっかけは? 「2010年のワールドカップを見ているうちに、幼い頃からの夢だった『サッカー日本代表でワールドカップに出たい』という気持ちが蘇ったんです。海外で挑戦したい、自分が『日本代表』としてできることはないか、考えました。サッカーではもう間に合わない、それなら酒は? と思い立ったんです。家に『ディスカバージャパン』という雑誌の日本酒特集号があって、世界地図に日本酒がどれだけ飲まれているかが書かれているのを見て『世界で飲まれているなんてすごい』と思っていたこともあり、日本酒で海外を目指すのはどうだろう、という気持ちが固まったんです」 ――2010年……というと、当時おいくつですか? 「21歳です」 ――そんな若いときに大きな決断を!それで、海外に出よう、と決断されたあとは……? 「パソコンを開いて、グーグルで『日本酒 海外』って検索して、最初に出てきたのがZUMAだったんです。ホームページを見たら、すごくかっこいい。それでいきなり、書かれていた番号に電話したんです。『もしもし、ハロー』って日本語交じりで(笑)。ZUMAのことも知らないし、英語も何もしゃべれないまま、勢いでした。今思えばアホだなと思いますけど(笑)」

「日本食レストランだから誰か日本語を話せるだろうと思っていたのですが、窓口は全員外国人。でも、たまたま日本酒ソムリエの女性の方が電話で対応してくれて、採用への道がつながりました。そこから、日本で一年間英会話を勉強して、正式に採用になり、23歳のとき、ドバイ支店に行くことになりました」

長岡の酒との出会い

若干21歳で、海外に日本酒を広める「日本代表」を志すことを決めた浜田さん。その決断力、行動力には驚かされるばかりです。浜田さんにドバイに行ってからの話を続けてもらいましょう。 ――ドバイに行ったのち、長岡の酒との縁がいつどのように結ばれたのでしょう。 「ZUMAに勤め始めたばかりの頃、バーテンダーをしていると外国人客に『若いのに酒がわかるわけねえだろ!』と言われることがあって。日本にいたときと同じですね。それが悔しくて、ドバイに来てからの休暇は、毎回、帰国して日本で酒蔵巡り。蔵元を訪ねて行っては勉強を重ねました。ドバイのスタッフからは『自分の休暇で自分でお金を出して行くのは、本当に日本酒が好きなんだな』って驚かれます。 あるとき、たまたま、現地の知人がドバイに遊びに来たという女性を連れてきて、僕も一緒に食事をすることになりました。その人の出身が新潟だと聞いて、『あっ、これは行きたい』と思ったんです。まだ新潟の酒蔵には行ったことがなかった。そうしたら、彼女が『長岡の酒蔵なら、うちのお父さんが案内できるよ』と。彼女は長岡市の出身で、お父さんは地元の日本酒の振興に力を入れている人だったんです。僕のほうは、長岡といえば、海外では朝日酒造の『久保田』が大人気ということもあって、ぜひ行かせてほしい!とお願いして、2015年5月、長岡を訪れました。本当に偶然の縁だったんです。 もともと行きたかった朝日酒造はもちろん、彼女のお父さんが、他の酒蔵にも連れて行ってくれました。そのとき、初めて出会った長谷川酒造の酒に惚れ込んでしまって。『ここのお酒をドバイに持っていきたい』と思ったんです」 ――それが、実現するまでに2年かかった? 「本当はすぐにでも現地に持っていきたかったのですが、お酒の輸出には乗り越えなければいけない課題が数多くありました。日本からドバイへ、直接運び込める業者がなかった、というのも課題の一つでした。他国を経由していると、時間がかかりすぎるうえ、お酒の保管についても心配が残る。ようやく、お世話になっている中東向け日本食材の輸出会社で日本酒を取り扱えることになり、その会社の扱う日本酒第一号として、長谷川酒造の日本酒が輸出されたんです。そろそろ、船便でドバイに届く頃かな」

長谷川酒造にて、酒蔵の皆さんと(2017年2月上旬)。輸出までの過程を、常務の長谷川祐子さんは「浜田様側からも、弊社側からもそれぞれ直接輸出できる業者を探しました。ようやくお互い目処の立つ業者を見つけた際、それが同じ輸出会社だった時には驚きました」と語る。

今回、ドバイに渡った長谷川酒造のお酒は「越後雪紅梅」の「しずく取り大吟醸」「純米大吟醸」「特別純米」。ようやく届いた「越後雪紅梅 純米大吟醸」を手に(2017年2月下旬、ZUMAにて)。

「世界中からいろいろな人が集まってくるところで、日本酒をひろめるのが僕のやりたいことです。だから、自分の選んだお酒を持っていけることがとても嬉しいですね」 今回、越銘醸の蔵見学に訪れることになった経緯も、偶然の導きだった。「昨年、越銘醸の方がドバイまで日本酒を持って来られ、ズーマに来店してくださったんです。僕もその熱意に惚れ込み、ぜひ一度蔵見学をしたいと強く思いまして、どこのお酒かお聞きしたら、またまた長岡でびっくりしました! 何かのご縁だと!」 長岡という土地と縁を持てて嬉しいと語る浜田さんは、長岡の酒の魅力を、こう語ってくれました。 「日本酒には人が出ます。長岡のお酒は、やわらかくて、優しい。味のパンチはあるけれど、優しいんです。作り手の愛情を感じます」

ドバイのZUMAに輸出されることが決まった越銘醸の「越の鶴 大吟醸」。

酒粕の味をみたり、酵母作りなど酒造りの技術についての話を聞く浜田さん。

歴史を刻む蔵の空気を感じる。酒蔵巡りの経験のひとつひとつが、ソムリエとしてお酒をすすめる際に、役立つという。(越銘醸にて)

 「日本酒を世界の食卓に」 もっと大きな夢に向かって

「今の店で、やっと自分の好きな酒をお店に出すことができるようになってきて、やりがいを感じます」と話す浜田さん。「今のお酒のメニューは純米・吟醸・大吟醸などと分かれているけれど、長岡の酒・高知の酒、みたいに地域によって分けられたらおもしろいな」「お酒のメニューに、季節感を出したいですね。立春のお酒というテーマで紹介するとか」と、これからやってみたいことのアイデアが次から次へと出てきます。日本酒の美味しさを世界に伝えたい、その熱意に圧倒されます。 「ZUMAでも、店員向けに日本酒セミナーをすることもあります。そこで教えた人たちが、店を辞めた人も、それぞれの国で日本酒を広めてくれているんです。フランスとか、ノルウェーとか、世界各地に元ZUMAの同僚が散っていって、『今日、俺が本醸造とか、大吟醸の違いを説明したよ!』ってメールをくれる。嬉しいですね。彼らが酒のアンバサダー(大使)になってくれているんですよ」 とても充実した日々を送っている浜田さんですが、その夢はさらに広がります。 「いずれは独立して、酒のアンテナショップを作って、イタリアンレストランとか、和食に限らず色々なお店で日本酒を使ってもらえるようにしたいですね。そのためのハブになりたいんです」 シンガポールを抜いて、世界一の中継地点(ハブ空港)になったドバイ国際空港。この地で自分も世界に日本酒を広めるハブになる。そんな大きな望みを、浜田さんは語ってくれました。 海外でますます過熱する様子を見せる日本酒ブーム。単なる物珍しさや一過性の流行ではなく、それが世界の人々の食生活にきちんと根付いていくための「文化の日本代表」として、浜田さんは灼熱のドバイで今日も戦い続けているのです。

Text & Photos : Chiharu Kawauchi

 

取材協力/恩田酒造、越銘醸、長谷川酒造、吉乃川・酒蔵資料館 瓢亭