日本の代表的な発酵調味料である醬油。実は流通しているほとんどの商品が、海外産原料に頼っていることをご存知ですか?コストカットや栽培農家減少という課題から、輸入という選択肢が選ばれがちになっているのです。
かつては100%国産原料で賄われていたのだから、現代でも不可能ではないはず。そんな想いから、、新潟県長岡市を中心に原点に立ち戻って県内産材料で醤油を作ろうと発足したのが「新潟県産醬油復刻プロジェクト」。発酵・醸造のまち長岡で始まった熱い取り組みをご紹介します。
プロジェクトを行うのは、新潟県醬油協業組合と販売会社である山崎醸造、ホクショクの3社。長岡市十日町地区にある新潟県醬油協業組合は、昭和47年に県内18蔵の醸造元が集まって設立され、醬油や調味だしを製造しています。はじめに、醬油造りの工程を見学させていただきました。
まずは大豆を蒸し、小麦を煎って挽き割ったものに種麹をつけます。3日間かけて発酵させると、緑色の菌がびっしりと付着した麹ができあがります。
次に、麹に塩水を混ぜた「もろみ」をタンクに仕込み、じっくり6ヶ月間かけて発酵熟成させていきます。もろみを絞った液体を火入れ殺菌すれば、醬油の完成です。
つまり、醬油の原材料は、大豆、小麦、塩のみと極めてシンプル。微生物たちが営む発酵のおかげでうま味、甘み、酸味など複雑な味わいが醸しだされているのです。
それにしても、醤油の原材料はたった3種類。それで「県産醤油」を作ることに、どういったハードルがあるのでしょうか?プロジェクト開始当時の状況を、専務理事の佐田直人さんに伺いました。
「県産大豆や国産塩は簡単に手に入るんですが、県産小麦探しが難航したんですよ。実は、昭和30年代に収穫量が5千トンあった県産小麦が、平成7年にはほぼゼロになったんです。外国産小麦の輸入に加え、雪国新潟での栽培の難しさが要因でした。転機となったのは、小千谷市のとある農家さんが『ゆきちから』という品種の試験栽培を始めてから徐々に収穫量を伸ばしたことですね。その成功をきっかけに、県内各地で栽培されるようになりました」
「ゆきちから」とは耐寒雪性・耐病性が強い寒冷地向けの小麦品種で、現在新潟県内の小麦は全て、この品種が育てられています。ですが、栽培量が増えたとはいえ、各農家の栽培はまだまだ小規模なうえ、小麦たんぱくの成分値に毎年ばらつきがあるという課題もあるそう。そのため、醬油に適した小麦を複数の農家から寄せ集めて必要量を確保しなくてはなりませんでした。
苦労がありながらも2014年に試験的な半量仕込みが成功。そしていよいよ2015年に県産醬油プロジェクトが始動しました。
農家が苦労して育てた県産の小麦や大豆をもろみとして仕込んだら、微生物たちが元気に働けるように撹拌などをして管理します。製法は昔ながらの天然醸造。加温コントロールする醬油は6ヶ月間で完成しますが、自然のままの気温に任せるので1年間じっくり発酵させます。
そうして完成したのが新潟県産醬油「郷土の実り」。香りが良くコクがあってまろやか、天然醸造ならではの深みのある味わいです。その年の気温に影響されやすいため、驚くことに色や味わいが毎年変わると佐田さんは言います。
「2015年産は色が濃く深みがあり、2016年産は冷夏の影響から淡白でさっぱりとした味わいに仕上がりました。仕込んだ醬油は1年間かけて出荷のたびに絞るので、絞りの前半と後半でも味が違うんですよ。当初は均質的な商品づくりができないことに悩みましたが、お客様に『味わいが毎度変わることに魅力がある』とおっしゃっていただけたんです。このままで良いのか、と背中を押されたような気がしましたね」
日本酒をはじめ、日本の発酵食品は品質が「均一であること」になぜかこだわりがち。しかし、海外では同じ畑のブドウを使ったワインでも「この年は天気がこうだったから、少し渋みがある」「この年はこうだ」といった違いを楽しむ文化が生まれ、それによって産品の価値が評価されてもいます。調味料だとあまりそうもいっていられない部分もあるかもしれませんが、「味わいが変わること」の魅力は、この先大きな武器になる可能性を秘めています。
さらに、味わいの異なる醬油は、料理で使い分けるのもおすすめだと言います。濃厚タイプは肉料理や煮込み料理、淡白タイプは刺身や出汁の味わいを活かした料理など、それこそまるで赤と白のワインのように料理との相性があることを知っておくと、醬油の世界のさらなる奥深さが垣間見えてくるようです。
「『郷土の実り』は普段使いできる価格であることもポイントですね。こだわった醬油は全国にたくさんあるけど、高価だとなかなか使えません。天然醸造でこだわり満載なのに良心的価格なのは、毎日気軽に使ってほしいからなんですよ」
地域の人々にも県産醬油造りに関わってほしいと、毎年体験イベントも開催しています。6月の「小麦収穫体験」では手刈りで小麦を収穫し、11月の「もろみ仕込み体験」では200リットルの木桶3本に材料を仕込みました。天然醸造で発酵熟成させる醬油は、1年後に絞り味わいをチェックします。
画期的な企画が、ペットボトルをタンク代わりにした「マイ醬油作り」。参加者が自宅に持ち帰って微生物のお世話をすることで、もろみが醬油へと変化し、プクプク発酵する様子を感じられます。
「醬油造りの最大のポイントは『もろみ造り』ですから、自分で仕込むと観察するのが楽しいですよ。秋に仕込んで冬場は変化がなく、春頃にプクプクと発酵してきます。まるで“醤油を育てている”不思議な感覚があって、微生物たちが愛おしく感じるんじゃないかな」
いま世間は発酵ブームの真っ只中にあるように見えますが、醸造業界全体を見渡すと売り上げ低迷に悩み、ピンチに陥っている蔵も多いそうです。発酵食品は、長い月日を経て微生物たちが活動した証。ようやく商品になった感動が消費者に伝わらないのはもったいないと佐田さんは熱く語ります。
「完成するまでの過程こそが、醬油造りの醍醐味です。半年から1年間かけて発酵させるもろみの管理には、数々のドラマがあります。日々、微生物たちと向き合い、環境を整えてあげることでおいしい醬油が生まれている、この手間ひまと感動をもっと伝えなきゃと思います」
発酵食品には生物の営みが詰まったおもしろさがあり、食べ物でありながら生き物という、他食品にはない魅力がある。醸造業界が再び盛り上がるには、商品の裏側にあるストーリーを発信していかねば――使命感にも似た想いとともに、佐田さんが構想しているのは「郷土の実り」特設サイトのオープンです。日々の製造で感じたこと、微生物の様子やトラブルも含め、現場の臨場感を発信していきたいと考えているそう。醤油製造現場のリアルな情報発信をしている蔵は稀で、今後全国的にも注目されるサイトに育っていくかもしれません。
醬油造りは生き物相手。環境を整えてあげることで、微生物たちが活発に活動して美味しくしてくれます。
「不思議なことに、タンク40本に同じように仕込んでも、それぞれ発酵スピードも仕上がりも違うんです。酵母菌が増えて呼吸をするはずなのに、いつまでもそこに行きつかないタンクもあるので、その時は加熱温度や混ぜ方を変えてあげます。付きっきりで面倒を見てあげるんです。もろみ管理は、まるで我が子を見守るお母さんのようですよね」
微生物たちの様子を観察しながら、温度や撹拌のタイミングを微妙に変えて、日々実験のように醬油造りをしているという佐田さん。仮説を立てては実践をくり返し、その結果が分かるのが完成する半年~1年後というのは、発酵食品ならではの時間の感覚です。
また、醬油造りの現場を多くの方に知ってもらおうと、要予約で蔵見学も受け付けています。「私たちが造る醬油を知ってもらえると、作り手としてテンションが上がりますしね(笑)」とのこと。それにしても発酵を語る佐田さんの瞳はキラキラと輝いています。まるで我が子のように大事に育て、誇りをもって商品を世に送り出す――愛情をいっぱい受けた微生物たちだからこそ、格別な味わいの醬油が生みだされているのかもしれません。
Text and Photos: 渡辺まりこ
●Information
新潟県醬油協業組合
[住所]新潟県長岡市十日町1901-1
[電話]0258-22-2106
[ホームページ]新潟県生まれの醤油 郷土の実り